チェコの情報

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フロウハ・ジョー(Joe Hloucha)チェコで最初の日本通 [UA-125732310-1]

Joe HLOUCHA (フロウハ・ジョー)は1881年9月4日Mlada Boleslav(ムラダー・ボレスラフ)市近郊生まれ。ビール工場のマスターの息子。1957年6月13日プラハ没。プラハのビジネス専門学校卒業。高校生の時に彼のおじさんJosef KORENSKY(ヨセフ・コジェンスキー)の旅行の本『世界一周』を愛読していました。特に日本の部分がお気に入りでした。両親がプラハへ移ったと同時に、お父さんは聖トマーシュのビール工場の経営者になりました。フロウハさんはプラハのナープルステック博物館の図書館でよく勉強していました。独学で日本語の勉強を始めました。日本のことをどんどん詳しく知るようになりました。彼の最初の本『風に舞う桜』は1905年出版されました。実はその時まだ彼は日本を訪れたことがありませんでした。彼の最初の日本訪問は1906年、二度目は1926でした。それぞれ10ヶ月と7ヶ月という短い期間の滞在でした。日本の美術品、骨董品を好んで集めました。日本の建築も勉強していました。チェコのJ. Kotera(J.コチェラ)とV.Havel(V.はハヴェル、前大統領の祖父)といった建築家たちと情報交換をしていました。プラハの近くRoztoky市(Tiche udoli 376)(ロストキ、A線の終点Dejvickaからバスで15分の場所)に、日本風の自邸と日本風のホテルを建てました。そのホテルは現在病院として使われています。自邸は現在改築中。プラハの中心にあるLucerna宮殿(ヴァーツラフ広場の近く)で日本風の御茶屋『横浜』もオープンしました。当時、このようなお茶を飲ませるカフェはチェコスロヴァキア内で初めてで大人気でした。プラハでたびたび日本の芸術を紹介したり、本もたくさん書きましたが、1957年、忘れられたような存在として、ひっそりプラハ(Serikova 4、Praha 1)でなくなりました。Olsany(オルシャニィ)墓地9-3a-88(Flora駅A線下車から徒歩約10分)へ埋葬されています。

プラハ、ナープルステック博物館のフロウハコレクション


https://www.muzeum-roztoky.cz/sites/default/files/styles/max_size/public/galerie/2018/02/02/japonska_restaurace_sakurakol1_930.jpg?itok=qVm1qFA7


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チェコ国立美術館、極東部コレクションプラハ旧市街広場キンスキー宮殿(ズブラスラフーZbraslav城から移転されました!

Valentin Dobrotivy(ヴァレンティン・ドブロティヴィー、1942年コメディー映画ハフロウハ氏ノロズトキヴィラも撮影されました